こんにちは^^
初めての就職はおろか、アルバイトすらままならないと気づいてしまった私。
社会にはどこも私を受け入れてくれるところはないのか…。
そう思い始めたら止まりません。
一概にひとくくりにするのは良くないですが、発達障害者は実年齢に対して精神年齢が低いと、どこかで目にしたことがありますが、まさにその通り…。
社会人としてやっていく年齢ではあるのですが、心の自我はまだ子供で未熟なんでしょうね。
幼なすぎて正社員はおろか、バイトどまりなのがよく分かりますね…泣
当時は心が荒んで大変でしたが、まだ未来がある、と思えてただけ良かったと思います。
人間誰しも、わずかな希望がなければ生きていけませんよね。
最近思ったことは、希望がみえたら、どこかに必ず落とし穴が存在し、それに落ちないこと、絶望の片鱗がうかがえる可能性が0ではないことを心にきぎみこんでおこうということです。
心は幼くても、見た目は立派な大人ですので、自分の心は自分で守らなきゃいけないですし…。
大人って大変だなあ。。泣
話は変わりますが、私の父と母はとてもプライドが高く、少々見栄っぱりな面があります。
私が就職活動に失敗し、社会人のスタートがフリーターになってしまったことに落胆しているのが感じられ、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そしてアルバイトから始めるも、私がうまくこなせないことについても、憤りを感じている様に感じていました。
アルバイトを始めてしばらく経つと、
「そこで正社員になれないのか」
と期待する両親。
その期待に答えてあげられないのがとても辛かったです。
私はうすうす、OLはおろか、まともな社会人生活は送れないだろうと幼少の頃から思っていました。
でも、両親はそうではない。
良い会社に入って、立派に社会人として生活してもらいたいという気持ちが見え隠れしている様に感じました。
ですが、当時の私は、
「正社員になれなくても、あなたが幸せで生活出来る分だけ稼いでいればいいじゃない。」
と言ってほしかったのです。
ですが、両親は皆と違う私を残念がっている様でした。
「せっかく大学まで出したのに。」
と言われても、ごめんね…という気持ちでしか表すことができない自分がとても不甲斐なかったです。
私は両親がいつかは私の気持ちを分かってくれるのではないか、と淡い期待を持っていました。
ですが本音としては、大学まで出したにも関わらず、就職も出来ない「フリーターの娘」をもったということが恥だと感じているんだろうなと思っていました。
”私より世間体の方が大切なんだ…。”
と当時はかなりおちこみましたし、心もすさんで、こんな自分を恥ずかしいと思いながら過ごしていました。
人の温かみ
また失職してしまった私は、毎日生きる屍のようでした。
耳の調子も
”もうどうでもいいや…、”
という気持ちが先行して、気力も何も無かったのですが、さすがに半年間も聴力が戻らないため、私は自宅から近くの耳鼻科を受診することにしました。
問診の際、先生に
「いつから?」
と聞かれたので、
「半年前です。」
と答えると、
「ダメよぉ、もっと早く来なくちゃ!」
とお叱りを受けました。
受診後の薬局でも、
「そんなに無理して我慢したの?早く来なくちゃダメ」
と同じ様に言われました。
診断結果はストレス性の難聴で高い音がきこえづらくなっているとのこと。
耳鼻科の先生に加えて、薬剤師さんにも軽く怒られたにも関わらず、私はなんだか嬉しかったのです。
それは何故か。
何か言葉に愛があるというか、
”心配してくれるんだー、こんな私のこと。”
という風に感じてしまって。
全て自業自得なのですが、仕事ではずっと怒られ、けなされ、挙げ句の果てに毒の針を含んだ言葉を浴びせかけられた私。
全て自分の責任だと分かってはいたものの、厄介者、腫れ物扱いはさすがに堪えるものがありました。
と、ここでやっと気付きます。
当時の自分には、自分の心が悲鳴をあげていたことに気付く余地すら残っていなかったみたいでして。
”叱られたけれど、何だかうれしかったなあ…。”
不思議な気持ち。
ひさしぶりに人の温かみにふれたような気がした、そんな日でした。