皆様、こんにちは!
初めまして^^
りりと申します。
ブログを書くのは初めてなので、誤字脱字などあるかもしれませんが、普段話しているような状態でのんびり書いていけたらと思います。
タイトルにもある通り、私は発達障害に加え、いくつかの精神疾患を抱えながら生活しております。
まずは、幼少期の頃から少しずつお話させて頂きたいと思います。
私は物心ついた頃から、いつも何か心がもやもやしているようなふわふわしているような…、心ここにあらず、といった不安定な状態だったように思います。
子供の頃から、おとなしく不安が強い子で幼稚園に行く前は気持ちがソワソワ。。
どうして幼稚園に行かなきゃいけないのか。。
私にとって幼稚園は、
「友だちがいて遊べて楽しいところ」では全くなく、
毎日不安の連続で、疲れる場所でした。
まだ幼稚園児なのに悲壮感たっぷりですよ笑
なぜ不安を抱えていたかというと、
- お友だちというより、恐怖の対象(泣いたり騒いだり、気にくわないことがあったらお友だちのことをたたく等恐ろしすぎる。。)
- まだ子供ゆえ、平気で嘘をついたりする(反論出来ない自分にはそれも恐怖)
- さすがに幼稚園児で1人ぼっち行動は厳しい。。
- 1人で居たくても1人ぼっちはさすがに寂しい苦しい耐えられない
- 先生の目がイタイ。。
など様々でした。。
こんなに色々毎日抱えていたら、そりゃ疲れるわ…。。
自分が周りのお友だちと馴染めないのも、何となく自分が変わっているんじゃないかと感じながら、当時はどうしようもなかったです。
自己肯定能力の低さはこの頃から何となく自覚があって、気持ちが常に不安定なのは子供社会での土台作りにつまづいてしまったところも大きいのではないかと思っています。
次は小学校〜思春期〜高校生くらいの頃のお話をしたいと思います。
小学校に入ると幼稚園の頃とはわけが違いますよね。
1人でものんびり遊んでればいいというわけではなくなり、母とは通学も一緒ではないし、まずお友達が出来ない子は、まっさきに先生に目をつけられてしまいます。
まさに私…。
体が成長していくことへの虚しさ、子供でなくなっていく不安。
先程少しふれましたが、私は物心ついた頃から不安やもやもやした気持ち、更に得体の知れない恐怖心にもさいなまれていました。
根底には大人になることへの不安がとても大きかったからなのかな、と今になって思います。
私は身体が小さく、それは子供の頃からコンプレックスだったのですが、雨の日に傘をさして歩いていたりすると、
「傘が歩いてる!」と笑われたことが何回かありました。
大人の方はカワイイと思っておっしゃってくださったのかもしれないと推測しますが、
そしてそれは、何げない会話だったのかもしれませんが、大人ってそんなこと言うんだ、怖いなと思うことも少し影響していたのかな?
幼稚園卒園から小学校低学年の頃、少しずつ背が伸びはじめたことをきっかけに、ある日お気に入りのワンピースが着られなくなってしまったんですよね。
毎日着たいくらいお気に入りだったのですが。
その時のやりきれなさ、悲しさ、こうやって好きなものを手ばなして行かなければいけない感覚。
手のひらのすき間をすりぬけて「好き」がなくなっていく虚しさ。
まだ純心でいたかったのに、自分の心がそうさせてくれません。
誰も悪くないのに…、、
でもとにかく無性にそれが悲しかったのです。
毎日、朝早く起きて、学校へ行き、お友達と遊んだりお勉強したり、私にはものすごくプレッシャーのかかる毎日と、どこか自分が他の子とちがうという感覚。
常に先生に見張られている様な異様な空気感を察知し、どんどん不安が増して行く様になりました。
それに加えて、授業中に手を挙げないと逆に先生に指されたり、人前で発表したり、歌をうたったりすることは私にとっては逃げられない地獄の様な日々でした。
小学校に入学して数年後、高学年に上がると勉強についていくのが大変になっていきました。
授業中でもどこか気がそぞろでぼんやりしてしまったり、集中力がもたずじっとしていることを苦痛に感じるというのは、発達障害の特性の1つでもあるそうです。
もちろん、その当時、発達障害というものは全くと言い表しても良いほど、認知されておりませんでした。
そして徐々に、自分は他の子に比べて全ての面において劣っている、精神的にも幼ないのではないか、と感じるようになったのです。
特に学習面において、何度も復習や理解できない点を再度教えて頂くような経験をしても苦手なものはどうしてもクリア出来ないままでした。
私の学校では、授業中に居眠りをする子はいなかったのですが、とうとう苦手な教科になるとまぶたが自然に重くなってしまうようになりました。
そして、私1人教室でうとうとしてしまったりすることがあり、徐々にクラスから浮いた存在になっていきました。
そのため、先生は私に対して更に厳しく接するようになりました。
家庭での過ごし方についても強く言及する様になり、それとともに私は自分自身の自我を築くとても重要な時期に、何かとても大切なものを失なってしまった様な感覚に苛まれることとなったのです。
思春期に入るとどんどん心の中のもやが膨らんでいく
中学校へ進学すると、多感な年頃なこともあり、周りのクラスメイトが悩んでもいない(考えつかないと思われる)ようなことで悩む様になりました。
まず、この先の進路はどうしよう…。
受験というプレッシャーに耐えられるのだろうか。。
将来のことを考えると、以前にも増して目先のことに捕らわれ、先を見据えるといったことが出来なくなっていきました。
人生の目標を持つことも出来ず、といいますか、大人になった自分をイメージすることすらあやうかったです。
だましだまし毎日の生活をして来ましたが、わずか中学生にして心が不安でいっぱいになり、限界に近づいていくのが感じ取れました。
そして、その辺りから希死念慮も少しずつ顔を出してきたように思います。
結構重めのお話が続いてしまいました。。
ちょっと書いていて不安がよぎりますが、、私らしくブログを書いて行きたいと思います。
高校2年の頃になると、もう進路をあいまいにするわけにはいかなくなり、進学か、それとも社会勉強と言いますか、まずは働くことに慣れるために肩ならし程度にフリーターになるか迷いました。
この頃には不安から友人関係がうまく行かなくなり不穏な空気が流れるようになったり、疑心暗鬼になったりすることが多々あり、精神的に安定していて文部両道の友だちを羨んだりするようにもなりました。
とにかく精神的に言葉では言い表せない位の不安定な状況に陥りました。
家族にやつあたりしてしまう自分がみっともない、そんな自分が嫌い。
そしてこれからどうなるんだろう、どうしてみんなみたいにうまくこなせないんだろうか。。
そんな想いから、いつしか食に逃げる様になりました。
ですが、学校へは何としてでも行かなければならない。(今考えればこれは休み始めてしまったら、緊張の糸が一気に途切れて、自分が何かしでかすのではないかという恐怖心からだったと思います。)
この頃から、いつしか頭がぼんやり重たい様な気がするといった日が増えていったように思います。
これも幼いころからなのですが、自分がこのまま大人になったらきっと大変で、おそろしい人生になるだろう、という予測だけは何となく出来ていました。
ですので、そんなことを毎日考えているうちに、自分は「若さだけが全てだ」という想いが強まる様になり、更には大人になることへの拒絶反応が心に生じていくようになっていき、常に不安と恐怖心と隣り合わせのような感覚を持ち合わせていたように感じます。
時が経過するにつれて、心の中のもやもやは徐々に膨らみ始め、私の心を苦しめました。
あっという間に時が経ち、運が良かったのか、こんな私でも大学へ進学することが出来ました。
大学に受かった時は、えっ!本当に?という思いと、まだモラトリアムでいられる嬉しさでしばらくの間珍しく心が安定していました。
が…、やはり、不安がつきまとう日々を過ごして来てしまったので、、またすぐに大学に入学してからの不安が始まります。
もう、本当にせわしない。。笑
高校はアルバイトが禁止だったので、アルバイトはしなかったのですが、大学に入っていざ、バイトするぞ!自分を変えるぞ!と思った瞬間、あれ?私は働けるの?人とちゃんと話せるの?ちゃんと仕事をした対価としてふさわしいお給料を頂けるのかな?
大学生になった今、このままでは社会人としてやっていく自信が全くないことに気づきます。
”これからどうしよう…、せっかく大学デビュー出来たし、変わりたい!”
という想いが徐々に出始め、母に精神的に強くなるには、病院かカウンセリングしかないのかもしれないと相談をしてみます。
ですが、当時の自分は自分自身が本当に精神的な病気をもっているとはあまり感じておらず、性格の問題かな…という想いもありました。
母は元々とても気が強いタイプ(優しくもありますが)ですので、
「あなたは病気なんかじゃない!気が弱いだけ。」と一蹴されました。
父はこのような話を親身になって聞いてくれるようなタイプではないため、相談せずだまっていました。
昔から家族で話し合うとか、親に悩みを聞いてもらえる様な環境ではなかったので、仕方がないといえば仕方がないのですが…。
だから自分一人で行動をおこすしかなかったのです。
それはとても孤独でさみしいものでした。
私の話はそれとなく、父の耳にも入っているとは思っておりましたが、父も母もいつも余裕がなく、機嫌が悪いため、就職もあやうい上に病気だなんて両親ともども、認めたくなかったのだと思います。
ですが、まだ18歳で若い自分にはその現実があまりにも過酷すぎて認めたくありませんでした。
もっと相談にのってほしいと心で思うも、父や母に相談したところで相談ののり方もわからないだろうという思いもあり、私は全てを独断で決めるしかありませんでした。
ずっと見ない様にして来た現実に、とうとう立ち向かわなければいけない日が来たのだろうか、という思いが脳裏をよぎります。
私の人生は常に目先のことをこなすことで精一杯で、何かを心から楽しむことや、我を忘れて没頭するような想い出はあんまりなかったなあ。。
さみしい。。泣
ちょっと自己紹介が長くなってしまいましたが、ざっとお話させて頂きました。
初めに少しふれましたが、私は発達障害や精神疾患があるため、実年齢に比べて、精神年齢が極めて低いと感じております。
仕事はどこに勤めても精神的に参ってしまい、何回か転職を繰り返し、紆余曲折をへて、今はパートとして勤務しています。
ブログを始めた理由
そもそもなぜ、ブログを始めたかというと、
ふと、自分の人生って何だろうって思ったときに、これ!って言えるものが無かったんですよ。
私の自信の無さの一番の原因は、「私が今まで生きて来た証」というものがどこにもなくて、
”私にはこれしか出来ないけれど、これ一筋で頑張って来ましたってものが存在しない。”
もういい大人なのに自我の確立があやふやで未だモラトリアムの様なそんな自分。
それが何かずっと心のどこかでひっかかってるようなところがあって。
重複しますが、私は物心ついたときからどことなく心が不安定な子供でした。
そのためか、発達障害ゆえの二次障害もとても早かったように思います。
それゆえ、社会不適合者であり。
それで、思い返してみたら私ってずっと真っ暗なトンネルの中にいたようなそんな人生だったなぁって。
たまに光が差してちょっと先に進むんだけど、またすぐに真っ暗になって先が分からなくなってしまう。
そんな繰り返しでした。
毎日辛いなぁと思いながらも、ただ漂うように生きてきたのが、自分の人生ってことでいいんじゃないかって。
最近そう思うようにしています。
幸福と不幸は表裏一体。
自分の心次第。
どこに行っても、何をやっても自分の居場所が見つからない。
何も掴めなくて、もがいて苦しんでいるだけでも、生きていたってことが私の人生なのかなって。
でも、そんな人生を変えたくて、藁にもすがる想いでこのブログを始めました。
今からでも人生巻きかえしたい、どうにかブログで生活できる位の力をつけたい、その一心のみでここまできました。
今まで私を小馬鹿にしたりして来た人を見返してやりたい、逆にお世話になった方にはどうにか恩返しをしたいと思ったのも、ブログを始める大きな理由でした。
”何か1つでも頑張り続ければ、何かが変わるかもしれない。”
そう、その何かとは「心」のことです。
自分の居場所、自分の心を解放させてあげられる場所を作るために。
私のブログを読んで下さっている方、何かを検索していたらたまたま私のブログが出てきて、目を通して下さった方等、色んな方がいらっしゃると思います。
ブログを書かれている方もいらっしゃると思います。
実際に発達障害のことや精神疾患でお悩みを抱えていて、それでお読み下さっている方。
このような拙い文章でも何かを感じ取って下されば幸いです。
人生を変えたいという理由のほかにもう1つ、私がブログを書く理由があります。
それは、一言で表すとするならば、心の浄化、そして過去に囚われた心の解放、ならびに想い出として昇華させるといったところでしょうか。
たまに書いていて、しんどいなーと思うこともありますが、書き終わると不思議と心がスッキリ!するんですよね。
心が片付いたというか。
心の毒が少し出たような気持ちになり、少し前に進めた感じがするんです。
もし、私のブログを読んで頂いたことで、何かを感じとって頂けたら…。
このような細やかな願いも込めてブログを書いております。
うーん、、伝わったかなぁ。。
そしてどうかこのブログが成功して、今まで息を殺すようにしてひっそり怒られないように生きてきた自分から脱却したい。
そんな想いからでした。
先にもお話しましたが、精神疾患もあるので、自分の生きたい気持ちとは反対に、消えてしまいたいと強く感じる時もあります。
気分の変動で、昨日言ったことと、今日言ったことが真逆になったりすることもあると思いますが、あまり気に留めないで頂けると幸いです。
そんな感じで、自分の病気とこれまでの人生についてお話ししていけたらいいなと思います。
簡単に自分の人生をふり返ってみましたが…私の人生ちっとも楽しくなさそう笑
若い頃なんて青春まっしぐらでみんなキラキラしているのに、常に自分だけ別世界にいたような、そんな疎外感がありました。
一寸先は闇とあるように、常に真っ暗闇を手探りで歩いていたように感じます。
でもちょっと苦しいなと思いながらも、若さに甘えて現実逃避をくり返し、いつも現実をしっかり見据えて歩いていなかったなぁ。。
これは自業自得以外何物でもないですね。。
これも幼少期からずっと感じている感覚があって、それはどこか自分が自分の人生の主役ではなく、ふわふわ夢の中を漂っている様なそんな感覚がありました。
変わりたい、変わらなければこの先どうすれば…!
とものすごく不安にかられる一方、どこか他人事のように結婚してしまえば苦労しなくて済むし、早めに結婚しなきゃ…!と傍観者のごとく自分を眺めているような感覚もありました。
私は現実と向き合いながらも、どこか現実から目をそらし、もはや自分が若さを売りに出来る間に結婚してしまえばいいという気持ちを持ちながら、宙ぶらりんのまま、毎日を過ごしていました。
今になってはこのように先々の計画が立てられない、どこかいきあたりばったりの所は、発達障害特有の症状だったのかな?とそう思います。
私自身が子供の頃から内気でおとなしいタイプの子供だったことは先程お話させて頂きました。
まず、何回か記述させて頂いた通り、物心ついた頃からの漠然とした不安感。
それが幼稚園に入ると顕著に表れる様になり、幼稚園に行く日は決まって憂鬱、母と離れる時は、毎日大泣きする日々。
お友達とうまくコミュニケーションがとれず、1人遊びするさみしさ。
お弁当を残すと食べおわるまで教室を出られない教育方針の幼稚園だったので、毎日プレッシャー。。
今だったら、辛かったよね?って。
過去の自分を抱きしめてあげられたらいいな。
これからも少しずつ書き続けて参りますので、お付き合い頂ければ幸いです^^