こんにちは^^
仕事も彼氏も失ってしまった私。
通院しているクリニックには、その間幾度となく足を運び、困っていることについて話しました。
ですが、その頃はまだ発達障害というものに対しての認知がとても低く、当然ながら私も発達障害の存在すら知らないでいました。
症状を言うたびにどんどん増えていく薬。
その頃は「治すためにクリニックへ行く」というよりも、
「今の現状をどうにかしたい」という気持ちでクリニックに通っていました。
同時に自分の支えと仕事をなくして、薬に依存していたように思います。
そして医療事務をやめた翌日、急に左耳のきこえが悪くなりました。
水がつまっている様な感じで、全く聞こえないわけではないですが聞き取りづらい。
すぐに病院へ行けばいいものの、当時の私は精神的に弱りきっていて、
”もうどうなってもいいや…。。”
という考えに陥っていました。
どこも私を受け入れてくれるところはない。
かたや周りの友達は初めてボーナスが出たなどといって喜んでいる。
そんな私はアルバイトも勤まらない。
どんどんおちこむ日々。
今思えば、全然巻き返し可能な年齢なのですが、当時は学生時代まで何とかレールにしがみついてふみ外さずこられたのに、社会に出た途端、大きくレールをふみ外したように感じられて絶望感でいっぱいでした。
私は自分を親不孝だと思い、毎日自分を責めていました。
こんなモチベーションにも関わらず、私は何か別の職種を考えることや元気になるまで休むということが思い浮かびませんでした。
そしてまた医療事務で今度は処方せんの入力のないクリニックを探し、面接することに決めます。
クリニックの求人を探し、面接を受けた後、正社員前提のところに運よく受かることが出来ました。
ですが、またも苦戦する日々の始まりでした。
患者様から言われた事を正確に院長に伝えなければいけない。
私は発達障害のせいもあってか、耳からの情報に弱く、また理解できないものに関してはそこで思考が止まってしまうので、「伝える」というところまでに行きつくことすら至難の技でした。
それは仕事にも如実に表れ、患者様のやりとりから電子カルテ(院長にわたす問診のようなもの)を作成するのにものすごく苦戦し、とても時間がかかってしまいました。
そんなことをくり返す日々。
このままでは正社員になれない。
どうしよう…とそんな想いが頭の中をかけめぐります。
毎日どうしてうまくやれないんだろう…、自分としては、怠けているつもりは一切ないのにどうしても半人前以下の仕事しか出来ない。
そして服薬も多くなっていましたので、その副作用で頭は朦朧とする。
もはやにっちもさっちもいかないとはこのことだと思っていた矢先…。
いつも通り仕事が終わり、帰宅します。
クリニックに勤めるようになってから、体は疲れているのにも関わらず、寝付けないといった状態が頻繁に起こるようになっていました。
耳の調子も病院に行っていないためか、相変わらずでした。
耳の聞こえの他に、過呼吸の症状も出始める
母にいつもの様に仕事の相談をしていると、急に糸が切れたのか、過呼吸の発作に襲われました。
過呼吸になるのは初めてだったので、とてもビックリしました。
酷いときは治まるまで1〜2時間位かかるので、どんどん寝不足になり、日々の業務は散々なものでした。
ひどい時にはカウンターでうとうとしてしまう日すらありました。
それをみかねた医療事務の先輩が、院長へ私の様子を伝え、事態は最悪の状況へと向かっていきます。
即座に院長から呼び出されました。
話は前後しますが、まず学生の時にろくにバイトもしたことないような自分がいきなり社会に出るというのはハードルが高すぎました。
学生時代がまたそれで何となくやりすごせてしまったからいけなかったという後悔。
のんびり育ったという自覚はあったものの、、
「失敗してはいけない!そつなくこなさなければ」という気持ちが空回りするばかりの日々。
「何でただの入力なのにミスするの!?」
「何も難しいことなんてないじゃない!」
「こんな簡単なことが覚えられないの?」
等と言われました。
当たり前ですよね。。
客観的に見ても、そこまで難易度の高いお仕事ではないのですが、私には「速さ・正確さ・他の業務にも柔軟に対応」といった三拍子が全くもって出来ませんでした。。
我ながら情けなかったですし、自分はこんなに仕事の出来ない人間だったのか、、と落胆する毎日。
”雇って下さった方に申し訳ない、何とか挽回しなければ!”
と思えば思うほど、私はドツボにはまっていきました。
だんだんと夜も眠れなくなり、夜中に不安で過呼吸になる頻度も高くなって行きました。
結局、クリニックの仕事もほんの数ヶ月で終わってしまいました。
自分がいるせいで、周りに迷惑をかけてしまう。
そう思った私は、退職したい旨を院長へ伝えました。
すると、院長から
「あなたみたいに努力しないような人間は一生フリーターかニートですよ」と。
軽蔑した眼差しで言われました。
今でもその光景は脳裏に残って忘れられません。
努力していないと思われていると知ったときは愕然としました。
自分なりに必死にやっているつもりでも、成果が残せない人は社会人としてやっていかれないんだ、、そんな現実を目の当たりにして目の前が真っ暗になったのを覚えています。
22歳で何回も社会からの拒絶を味わい、胸が張り裂けそうというか、どうにかなってしまいそうでした。